幼少期や少女時代に第2次世界戦争を体験し、翻訳者も編集者も男性が圧倒的だった時代に出版界に飛び込み、半世紀以上も翻訳をしてきた女性たちがいる。暮らしぶりも社会背景も出版事情も大きく変化したなかで、どのような人生を送ってきたのだろうか。かつては"不実な美女"*と翻訳の比喩に使われたが、自ら翻訳に向き合ってきた彼女たちの軌跡をお届けする。
〈取材・文 大橋由香子〉
お待たせしました。vol.1の小尾芙佐さんから3ヶ月余、連載シーズン2は、中村妙子さんにご登場いただきます。1923年生まれの中村さんは、翻訳を手がけて70年近くになられます。ロングセラーの『サンタクロースっているんでしょうか?』「くまのパディントン」シリーズ(ともに偕成社)『ナルニア国の父 C・S・ルイス』(岩波書店)をはじめとするたくさんの翻訳のほか、『アガサ・クリスティーの真実』(新教出版社)『鏡の中のクリスティー』(早川書房)などの著作もあります。
子ども時代の読書体験、戦争中の恵泉女学園、津田塾での学びはどのようなものだったのか、そして1942年秋に繰り上げ卒業した後、内閣情報局第三部(対外情報課)の戦時資料室で働き、敗戦後は連合国軍総司令部の民間情報教育局に勤めたという中村さんが、どのようにして翻訳の仕事をするようになったのか、お聞きしました。
(文中に登場する方々のお名前は一部敬称を略させていただきます)
1936(昭和11)年、中村(
戦時中のミッションスクールの微妙な立場もふくめて、恵泉女学園の歴史と河井道先生について、後年、中村さんは学園の依頼で『この道は 恵泉と河井先生』という本を著すことになる。
女学校を出たあとは、津田英学塾の本科に入りました。1940(昭和15)年のことです。1年生のときは、外国人の先生がいらっしゃいましたが、その翌年には真珠湾攻撃で太平洋戦争に突入しましたから、外国人教師は帰国して、日本人の先生が英会話を受け持たれるようになりました。敵性語だから英語の授業はなくなった学校が多かったのでしょうが、津田塾では、"将来英語は必ず必要になりますから、ちゃんとやっておきましょう"という考えで、英語の授業はほとんど従前どおり、存続していました。ただし、電車のなかで英語の本を開いたりはできませんでした。非国民と言われちゃいますから。
津田で最初に読んだ英語の本は、Daddy Long Legs、『あしながおじさん』ね。原書で通読しながら、先生のお話をうかがうという授業でした。訳解っていうのかしら。次は、ディケンズ『クリスマス・キャロル』を読みました。3年間の課程でしたが、戦争のために2年半で繰り上げとなり、授業も短縮されることになりました。だから、かなりの詰め込み授業でした。入学当初、予科を経ている同級生より英語の力が弱いと感じ、図書館でどんどん原書を借りて、筋を追うようなものをつぎつぎと読みました。
当時の学制では、女学校の卒業後、予科1年、本科3年という課程だったが、中村さんは予科には行かず、本科からスタートした。予科からの進学者は1年余計に勉強しているし、帰国子女もいて、入学当初は英語力に挫折感を抱いた。それでよけいに、英語に取り組もうという意欲が生まれたのかもしれない。
図書館で借りた原書の中には、子どもの頃「世界大衆文学全集」で読んだ作品もあった。
厳しくて有名な宮村タネ先生の「訳読」の授業は、つぎつぎに指名され、翻訳につまずくと、先生が納得する訳をする学生が出るまで立っていないといけない。
「みなさんは字引の足り方が引きません」
と先生が言い間違えながら叱っても、学生たちは笑えないほどの厳しさだった。だが、訳語の選択の大切さ、翻訳調の文章で満足してはいけないことを教えられた。
この授業の宿題で、中村さんはある日、「正確にして平明な訳。Excellent!」とコメントをもらい、尊敬する先生に認められた喜びで胸がいっぱいになる。将来、翻訳を仕事にしようと考え始めたきっかけにもなったようだ。
授業で一番面白かったのは、中野好夫先生のシェイクスピア講義でしたね。入学前、要覧を見たときから期待していました。「婦人之友」誌上のチャペックの翻訳の連載や、父の蔵書の『小英文学叢書』で『バニヤン』を執筆しておられるのを読んでいたので、中野先生のお名前はよく知っていました。
中野先生の講義は、2年生の前半は哲学関係のエッセーでしたが、後半は『ジュリアス・シーザー』、3年になってからは『お気に召すまま』と『ヴェニスの商人』のさわりを講義してくださいました。先生が朗々と読まれた名場面は、あざやかに記憶に残っています。
でも、半年早く繰り上げ卒業になったので、もっと講義を受けたいと思い、無鉄砲にも研究会みたいなものをお願いしてみました。幸い、快く承諾してくださって、15人くらい友だちを集めて、月に一度、駿河台のYWCAの一室を借りて『ハムレット』や『オセロ』の講義をしていただきました。ところが、そのうち空襲がひどくなって、閉講となってしまいました。
シェイクスピアといえば、こんな思い出がある。
小学校5年生のころ、父親が坪内逍遥の朗読による『ハムレット』と『ヴェニスの商人』のコロムビア・レコードを買ってきた。『ハムレット』の「世にある、世のあらぬ、それが疑問じゃ」で始まる第3幕第1場、そして、「尼寺に行きゃ! 尼になりゃ! さらばじゃ!」というセリフは、父の書架に並んでいた坪内逍遥訳の全集とも微妙に違っていた。後に歌舞伎に連れて行ってもらい、あの朗読は歌舞伎のセリフに似かよっていると気づく。同じころ、アントニオは「安藤仁蔵」、シャイロックが「賽六」、ポーシャが「星哉」と翻訳されている講談があることも知った。
中村さんは幼いころ、菊池幽芳訳の『家なき子』で洋風のお菓子が「蒸餅」と訳されているのを読んで、どんな食べ物かわからなくても「タルト」というカタカナのほうが断然おいしそうだと感じていた。シェイクスピアの朗読レコードも、講談も、あまりにも日本風であるのは子ども心に違和感を覚えた。また、文章は、声に出してみないと、呼吸や調子はわからないものだとも感じた。
繰り上げ卒業で社会に押しだされたのが1942(昭和17)年の秋、敵性語を勉強する学校ということで近隣の眼が厳しい時代でした。かつてソーシャル・ダンスや音楽を遅くまで楽しんだ寮の送別会も、自粛の方向に向かっていました。
同級生のなかには、九州帝大や東北帝大など、女子の入学を認める数少ない官立大学に進学した人もいましたが、戦争前は女子が入れる大学はほんの一部だったんです。
卒業してから半年近くはうちにいて、勤労奉仕に出たり、隣組の用事に狩り出されたり、姉の看病や慣れない家事をしたりしていました。いっそ勤めに出て英語力を活かしたほうがいいんじゃないかという父の勧めで、英語が使える仕事を知人に紹介してもらいました。内閣情報局の第三部対外情報課、戦時資料室で、外国の新聞やプレスカンファレンス、戦況に関する死傷者数などの英語文書をファイリングする仕事をしました。
情報課は、他の省庁や議員さんから要求されたとき、すぐに資料を出せるように整理しておく必要があるんです。何をやっていたのか、自分ではあまりわからなかったんですけどね。情報局の仕事には対外関係と国内関係があって、対外情報課は外務省から来た課員が多かったですね。私は嘱託ですから、普通のお勤めの方とは違って、わりと気楽だったと思います。
三宅坂にある情報局に通勤した。楽しみは、食堂のランチだった。勤めに慣れてきた1944年には、新聞記事の一部を翻訳させてもらうこともあった。
1945年4月15日夜、空襲警報のサイレンが鳴った。
中村さんは病後の姉に肩を貸して蒲田の八幡神社の防空壕に行くよう、父に言われた。だが姉の「あんな防空壕に入るなんて、蒸し焼きにしてくださいって言うようなものよ」という言葉で、駅近くの空き地へと逃げた。
八幡神社の防空壕では多くの人が亡くなっている。
あのときは、死と紙一重でしたね。建物も全部焼けてしまい、蒲田駅から羽田まで見通せるくらいに、なんにもなくなっていました。父の蔵書の一部は飯田橋にあった鉄筋コンクリート建ての富士見町教会に疎開されていましたが、大部分の本は蒲田の空襲で焼けました。
知人の留守宅で、終戦を迎えた。 「ああ、これで空襲がなくなる!」といううれしさがこみあげてきた。
おばあちゃんになった中村さんが孫娘に説明するスタイルをとりながら、恵泉女学園にこめた河井道先生の思いを描いた本。本書のなかで中村さんは、こうも書いている。
<河井先生には一年生のときに「国際」を、五年生のときに「聖書」を教えていただいたわ。どんなお話をうかがったか、よくは覚えていないのよね、残念ながら。何しろ、もう六十年も前のことなんですもの。でも、たまたま自分が悩んでいたこと、関心を持っていたことに触れるお話は心に残っているわ。>
そして、最近、翻訳を頼まれた原書(手のひらのことばシリーズ『おもいやりのことば』偕成社、1999年)で、むかし河井先生から教えてもらった言葉に出会うという不思議な体験を語っている。
津田塾大学英文学科ウェブサイト「卒業生からの手紙」ページに、中村妙子さんから在校生へのメッセージが掲載されている。
*"不実な美女"とは、17世紀フランスで「美しいが原文に忠実ではない」とペロー・ダブランクールの翻訳を批判したメナージュの言葉(私がトゥールでふかく愛した女を思い出させる。美しいが不実な女だった)、あるいはイタリア・ルネサンスの格言(翻訳は女に似ている。忠実なときは糠味噌くさく、美しいときには不実である)だとも言われ、原文と訳文の距離をめぐる翻訳論争において長く使われてきた。詳しくは、辻由美著『翻訳史のプロムナード』(みすず書房)、中村保男『翻訳の技術』(中公新書)参照。
構成・文/大橋由香子(おおはし ゆかこ) プロフィール
フリーライター・編集者。月刊「翻訳の世界」(バベル・プレス)やムック「翻訳事典」(アルク)等で翻訳者へのインタビュー取材を手がけてきた。光文社古典新訳文庫の創設時スタッフでもある。著書『同時通訳者 鳥飼玖美子』『生命科学者 中村桂子』(理論社
)『満心愛の人 益富鶯子と古謝トヨ子』(インパクト出版会)ほか。