2017.10.11

連載「”不実な美女”たち──女性翻訳家の人生をたずねて」vol.4 松岡享子さんに聞く(5)

幼少期や少女時代に第2次世界戦争を体験し、半世紀以上も翻訳をしてきた女性たちがいる。暮らしぶりも社会背景も出版事情も大きく変化したなかで、どのような人生を送ってきたのだろうか。かつては"不実な美女"*と翻訳の比喩に使われたが、自ら翻訳に向き合ってきた彼女たちの軌跡をお届けする。
〈取材・文 大橋由香子〉
(毎月10日更新)

*"不実な美女"とは、17世紀フランスで「美しいが原文に忠実ではない」とペロー・ダブランクールの翻訳を批判したメナージュの言葉(私がトゥールでふかく愛した女を思い出させる。美しいが不実な女だった)、あるいはイタリア・ルネサンスの格言(翻訳は女に似ている。忠実なときは糠味噌くさく、美しいときには不実である)だとも言われ、原文と訳文の距離をめぐる翻訳論争において長く使われてきた。詳しくは、辻由美著『翻訳史のプロムナード』(みすず書房)、中村保男『翻訳の技術』(中公新書)参照。

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『グリムのむかしばなし』
『グリムのむかしばなし』
(ワンダ・ガアグ編・絵、のら書店)
のら書店ウェブサイト

松岡享子さんが翻訳した『グリムのむかしばなし』(ワンダ・ガアグ編・絵、のら書店)の第2巻が、いよいよ11月初めに刊行されます。これを記念して、10月2日、東京子ども図書館で<ワンダ・ガアグ『グリムのむかしばなし』お話会>が開かれました。松岡さんは、ワンダという女性の生き方を紹介しながら、彼女が再構築したグリムの魅力を語ってくれました。

10月下旬には、ラジオで松岡さんの声を聞けるようですよ。

〈松岡亨子さんラジオご出演予定〉
NHKラジオ第一・FM「ラジオ深夜便」10月26日(木)午前4時台
NHKラジオ第一・FM「ラジオ深夜便」10月27日(金)午前4時台

この連載も後半に入ります。アメリカでの経験を日本で生かそうと胸を熱くして帰国した松岡さんは、「児童図書館員」の仕事をめざします。しかし、その道も一筋縄ではいきませんでした。そして家庭文庫の仲間たちと、子どもの図書館に関わる活動に力を注いでいくのですが、今回は、最初の翻訳書をめぐるエピソードが登場します。

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パディントン・シリーズなどが並ぶ書棚
撮影:宮城県仙台市の「こどものほんのみせ ポラン」にて
5回 帰国して直面する日本の現実、そして翻訳者としての第一歩
大阪で児童図書館員として働く

松岡享子さんが帰国した日本では、個人の自宅を開放して子どもたちが本に出会う場(家庭文庫)が、主に女性たちによって作られていった。その起爆剤となったのは、石井桃子著『子どもの図書館』(刊行時は岩波新書、その後、岩波現代文庫、石井桃子コレクションⅢ)である。

子どもの本の作り手(編集者)であり書き手(作者、翻訳者)でもある石井桃子さんに、松岡さんが初めて会ったのは、いつだったのかをお聞きした。アメリカからの帰国後、福音館書店の編集者・松居直さんに連れられて、新宿の喫茶店で瀬田貞二さんと石井桃子さんにご挨拶したのは覚えていて、それが最初ではないかと思うが、記憶は曖昧だという。

東京の実家で暮らしながら、石井桃子さんのかつら文庫、土屋滋子さんの土屋児童文庫など家庭文庫に関わる人たちの集まりに、松岡さんもより積極的に参加していく。

こうして次のステップを探しながら東京で約1年を過ごした後、松岡さんは1964年春から、大阪市立中央図書館の小中学生室への就職が決まる。

「慶應大学の図書館学科の時、大阪の児童文化会館で実習をしました。アメリカから帰ってきた時、実習でお世話になった西藤寿太郎さんにご挨拶に伺ったのではないかと思います。西藤さんが大阪市立中央図書館の館長になっていらして、そこで働かないかというお手紙をいただいて、勤めることになりました。というのも私、大阪市の公務員試験に応募したり受験したりした記憶が全くないので、西藤先生の裁量、縁故採用だったのでしょうね」

家庭文庫の仲間たちは、松岡さんの門出に大きな声援を送った。なぜなら、普段から口癖のように「公共図書館をもっとよくしなきゃ」と言っていたからだ。それくらい、当時の図書館は、改善の余地が山積という状況だったそうだ。松岡さんは、著書でこう記している。

img_matsuoka03-08.jpg「今の若い図書館員には信じられないようなことがずいぶんあった。座席の数しか人を入れないので、児童室といえどもすぐ満員になり、はいれない子は、表で列を作って待つのだった。一人出てくると一人はいれるというので、だれかが出てくると、待っている子どもたちの間から拍手が湧く、などという光景も見られた。大人は子どもの本は借りられず、子どもは──中学生でも──大人の本は借りられなかった。小学校二年生以下の子どもは、貸出しはうけられず、貸出票をつくってもらうには、父兄(保護者)の他に学校の担任の先生の印がいる。延滞の督促も、担任の先生宛送られる......というようなことであった。
 わたしは、ボルティモアの図書館とのギャップに戸惑いつつも、できるだけのことをしようと努力した......」

松岡享子著『こども・こころ・ことばー子どもの本との二十年』(こぐま社、1985)

小中学生室を設置した先進的な大阪市立図書館でさえ、登録や貸し出し手続きの煩雑さは、ほとんどブラック・ジョークのようだった。

いちいち、たくさんのことを書き込まされる子どもも大変だが、職員の負担も大きかった。アメリカでは経験しなかった事務処理に、まだ慣れない頃のこと。

「順番を待ちながら、わたしの もたつきぶりを見ていた中学生に、『なんや、たよんないなァ。ぼくんときは、あんじょうたのんまっせ』と、いわれたことがありました!」

松岡享子著『子どもと本』(岩波新書、2015)。5章には、お役所的な手続きが詳細に紹介されている。

本を通じて子どもと関わるのは、アメリカも日本も同じように楽しい。しかも関西なので、神戸出身の松岡さんにとって、東京より「母語」に近い世界で、なじみやすさがあったのではないだろうか。同僚たちの協力もあって、次第に「おはなしのじかん」を定期的に始めるなど、アメリカで学んだことも実行できた。

児童図書館員とは、本を通じて、子どもという存在に関わっていく仕事なのだと感じさせる松岡さんの記述がある。

「私が図書館で働いていたころ、進くんという六つの男の子が、ときどき図書館へやってきました。本には全然興味のないらしい進くんが......やってくると、一応パラパラと雑誌を見、そのあとは、奇声を発したり、机の間を走ったり、騒ぎはじめます。あるとき、それをしかるかわりに、絵本を読んでやったところが、それからは、来るたんびに、読め読めとせがむようになりました。......進くんにとっては、読んでもらうということが、かまってもらえるという意味でうれしかったのでしょう。
 子どもたちにとって、だれかに本を読んでもらうということが、たいへんうれしい経験らしいことは、ほかのいろんな例からもわかります」

松岡享子著『えほんのせかい こどものせかい』(日本エディタースクール出版、1987)
*2017年10月に文春文庫からも刊行

しかし、図書館職員は地方自治体の職員なので、ほぼ3年ごとに異動がある。図書館で児童を対象にした職場で働き続けられるとは限らないのが、日本の公立図書館事情だ。そのほか、さまざまなお役所の壁があったのだろう。

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大阪市立中央図書館で、カウンター業務やおはなしのじかんを担当する松岡さん。1964年ころ。
(松岡享子著『子どもと本』岩波新書より)

「図書館でずっと働いていた職員から見れば、私はアメリカから帰ってきて、ひょこひょこっと横から入ってきた感じだったかもしれませんね。今にして思えば、若くて気が短かったのでしょうが、3年目で挫折して、退職の道を選びました。公立図書館から敗退して、東京の家庭文庫の仲間のところに戻ったのです」

地方公務員生活は、1964年から1966年までの2年余でピリオドが打たれた。「わたしの中に、公共図書館に対する負債とでもいうべき感情を残した」とも書いている。

初めての翻訳書は『しろいうさぎとくろいうさぎ』

松岡さんの翻訳者としてのスタートは、この大阪での図書館員時代と重なっている。

初めての翻訳書は、ガース・ウイリアムズの『しろいうさぎとくろいうさぎ』(福音館書店)で1965年6月刊行。そして、エリノア・ファージョンの『町かどのジム』(学習研究社)が1965年12月刊行。

翻訳作業は、当然、本が出版される前になされているわけだから、アメリカから帰国した頃にさかのぼることになる。

『しろいうさぎとくろいうさぎ』
(福音館書店、1965年6月刊行)

「62年にアメリカから帰る時、福音館書店の松居直さんとヨーロッパをご一緒したあと、福音館で海外との英文レターを翻訳するアルバイトをしていたので、おそらくその頃か、大阪に就職した後に、松居さんから『しろいうさぎとくろいうさぎ』のご依頼があったのだと思います。

かわいいお話で、絵がとってもいいですよね。アメリカで原書を読んでいましたし、もちろん、お引き受けしました。でもそれは、子どもの本に関わる仕事の一環で、翻訳の仕事をしたいとか、翻訳家になりたいという動機があったわけではないんですよ」

アメリカでも日本でも、絵本を子どもたちに読み聞かせていた経験が、翻訳にも生かされたにちがいない。訳文について、編集者とやりとりした具体例は覚えていないが、『しろいうさぎとくろいうさぎ』という題名は、松岡さんが希望したものだという。

ガース・ウイリアムズの挿絵は、「大草原の小さな家」シリーズで親しまれていたが、文も含めた絵本では、これが初めてのようだ。アメリカの初版は1958年。原題は The Rabbits' Wedding

「ドイツ語訳も『うさぎのけっこん』の意味でしたが、とにかく直訳ではない題名にしたいと言って、出版社も賛成してくれました」

直訳すれば「うさぎのけっこん」だが、最後は結婚するという種あかしになってしまうし、結婚という言葉は子どもの本のタイトルとしてしっくりこないと思い、訳者としては、違うタイトルにしたかった。

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『町かどのジム』
(学習研究社、1965年12月刊行)
当時の絵は、三芳悌吉だった。

「同じ年に出た『町かどのジム』は、これはもう、若気のいたりですよね。だってファージョンの作品は、石井桃子先生がなさっていたでしょ。ものがわかっていれば『石井先生にお願いしてください』とお断りするべきところ、頼まれたから引き受けちゃったんです。学研の石井和夫さんという編集者の方からのご依頼でした。どうやって私を知ったんでしょうね。

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福武書店から1970年に出た、
福武文庫は、原書と同じ
エドワード・アーディゾーニの絵。

しかも、編集者の方が、石井先生に監修していただくか共訳にするか、先生のお名前を出したいとおっしゃったのに対して、私は『そういうことはしないでほしい』と、はっきり申し入れたんです」

石井先生の名前が出たら、もし瑕疵があったら、石井先生の責任になる。それなら最初から先生にしていただくのが筋であり、自分にやらせていただくなら、私の名前で出してください、と編集者に言ったそうだ。

「かっこいいでしょ。でもその時は、それが偉そうなことだとも思わず、当たり前だと思ってました。若いっていうのは、怖いもの知らずということですね

学研の編集者は、石井先生に原稿を読んでもらったそうだ。そして、松岡さんに会った時、石井先生は1か所だけ指摘してくれた。

「船員が、嵐の波に油をかけて鎮めるというシーンで、私の原稿は『波が......そそりたって、』としていたのを、「そそりたち、」にしたほういいと石井先生がおっしゃったんです。それ以外は、なにもおっしゃいませんでした。後で聞いたのですが、翻訳については、石井先生は絶対に人を褒めない方なんですって。だから、褒めないまでも、1か所を除いてなにも言わなかったということは、いいことだった(笑)。そう思うことにしました」

図書館に勤務しながらの翻訳作業は、大変だったのではないだろうか。

「当時の図書館は夜間開館をしていなかったので、夕方で仕事が終わりますし、夜も休日もありましたから、翻訳のために、あくせく苦労した記憶はないですね。夜遅くまでやったのかもしれないけど、一人暮らしで家事もたいしてないし、若いから大丈夫だったんじゃないですか。
 なにより、大好きな子どもの本を、日本の読者に紹介できる楽しみのほうが大きかったですね。翻訳がどのくらいのお金になるか、その時点ではわかりませんでしたが、少なくとも少々はお金になるから、図書館を辞めても、なんとかなるだろうとは感じていたと思います」

松岡さんが東京に戻ってきたのは、翻訳に専念するためではなかったが、それでも、翻訳による収入が見込めることは、その後の活動にとって、大きな意味を持っていく。

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松岡享子さん
[プロフィール]松岡享子(まつおか・きょうこ)

1935年神戸市生まれ。神戸女学院大学英文学科、慶應義塾大学図書館学科卒業、ウエスタン・ミシガン大学大学院で児童図書館学専攻ののち、ボルティモア市立の公共図書館に勤務。帰国後、大阪市立中央図書館勤務を経て、自宅で家庭文庫「松の実文庫」を開き、児童文学の翻訳、創作、研究を続ける。1974年、財団法人東京子ども図書館を設立。理事長を経て、現在は名誉理事長。

著書は、絵本『くしゃみくしゃみ天のめぐみ』『とこちゃんはどこ』『おふろだいすき』、童話『なぞなぞのすきな女の子』、大人向けの『サンタクロースの部屋』『ことばの贈りもの』『えほんのせかいこどものせかい』など。

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公益財団法人 東京子ども図書館
(写真提供:公益財団法人 東京子ども図書館)

翻訳は『しろいうさぎとくろいうさぎ』『町かどのジム』『おやすみなさいフランシス』『番ねずみのヤカちゃん』など多数の絵本、児童書のほか、大人向けの『子どもが孤独(ひとり)でいる時間(とき)』など。

〈復刊キャンペーン 今ふたたび、この本を子どもの手に!〉
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東京子ども図書館では、『物語の森へ』(児童図書館基本蔵書目録2)を2017年5月に刊行。戦後出版された児童文学から、選りすぐりの約1600冊を収録している。ところが、半数以上は現在入手できない状態だという。そこで、復刊希望の声を募り出版社に届けるキャンペーンを始めた。2年がかりの長期プロジェクト、あなたも参加してみては?

キャンペーンページはこちら
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松岡さんの訳した本、書いた本に出会える子どもの本屋さんを紹介しています。今回は、宮城県の「こどものほんのみせ ポラン」。仙台駅の西口、賑やかな朝市通りを抜けた先、雑居ビルの1階にあります。ちっちゃなお店に、懐かしい子どもの本や人形などがぎっしり。とよたかずひこさんなど、宮城出身の絵本作家の本も充実しています。本を読む会や親子あそびの会なども企画していて、店主の増田家次子さんの笑顔も魅力です。(撮影:大橋由香子)
こどものほんのみせ ポラン Twitterアカウント @poran_jp

(6回につづく)

大橋由香子(おおはし ゆかこ) プロフィール
フリーライター・編集者。月刊「翻訳の世界」(バベル・プレス)やムック「翻訳事典」(アルク)等で翻訳者へのインタビュー取材を手がけてきた。光文社古典新訳文庫の創設時スタッフでもある。著書『同時通訳者 鳥飼玖美子』『生命科学者 中村桂子』(理論社)『満心愛の人 益富鶯子と古謝トヨ子:フィリピン引き揚げ孤児と育ての親』(インパクト出版会)『異文化から学ぶ文章表現塾』(新水社、共著)ほか。

 

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