2018.01.11

連載「”不実な美女”たち──女性翻訳家の人生をたずねて」vol.4 松岡享子さんに聞く(8)

いよいよ最終回を迎えました。

このブログ連載をしている間にも、松岡享子さんが手がけた翻訳作品の原作者が亡くなられる悲しいニュースがありました。その中のおひとり、マイケル・ボンドさんの傑作、パディントンの展覧会が始まります。「生誕60周年記念 くまのパディントン展」です。2018年2月8日から3月4日までの美術館「えき」KYOTOを皮切りに、福岡アジア美術館(3/10~4/15)、Bunkamuraザ・ミュージアム(4/28~6/25)と巡回します。監修は松岡享子さん、協力が東京子ども図書館。パディントン、もう還暦なんですね。

さらに、映画「パディントン2」も公開されています。

映画「パディントン2」公式サイト

絵本が盗まれ、現場に居合わせたパディントンが容疑者として逮捕されてしまうというストーリーです。

そして、『100まんびきのねこ』や『スニッピーとスナッピー』の作者で、『グリムのむかしばなし』を再話したワンダ・ガアグの魅力について、さらに長年の松岡さんのお仕事を通して、翻訳に関する興味深いおはなしもお聞きしました。
〈取材・文 大橋由香子〉
(毎月10日更新)

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(左)5回で紹介した宮城県仙台市の「こどものほんのみせ ポラン」にて撮影
(右)3回で紹介した京都市の「メリーゴーラント京都」にて撮影

*"不実な美女"とは、17世紀フランスで「美しいが原文に忠実ではない」とペロー・ダブランクールの翻訳を批判したメナージュの言葉(私がトゥールでふかく愛した女を思い出させる。美しいが不実な女だった)、あるいはイタリア・ルネサンスの格言(翻訳は女に似ている。忠実なときは糠味噌くさく、美しいときには不実である)だとも言われ、原文と訳文の距離をめぐる翻訳論争において長く使われてきた。詳しくは、辻由美著『翻訳史のプロムナード』(みすず書房)、中村保男『翻訳の技術』(中公新書)参照。

8回 異文化への好奇心と寛容さー翻訳と子どもの未来

前回まで、子どもたちにお話をするという経験が、松岡さんの翻訳に大きな特徴になっているということをご紹介してきた。

最終回では、子どもの本における「わかりやすい言葉」からお聞きしてみた。

わからない・知らない言葉でも、子どもはキャッチする

「基本的に、あんまり嚙みくだいたり、やさしくしたりしません。<パディントン・シリーズ>は、小学1、2年生の子も読んでいたけれど、私は子どもむけに訳すということはせずに、『沈思黙考型』とか『天真爛漫』などの言葉も、平気で使いました。その時はわからなくても、いいと思うんですよ。知らない言葉でも、子どもはキャッチして、しかるべきときに、ちゃんと使います。
 私たちの年代が、明治時代の人たちの書いたものを読むと、自分はなんと語彙が少ないかとしみじみ思います。言葉が使えるということは、その言葉が表す感情や意識を認識できるということでしょ。だから使える言葉が少なくなれば、人間の考え方や気持ちの幅、ひだの細かさが失われていきます。少なくとも、私が知っているくらいの語彙は、減らさないようにしたいと思います」

もちろん、基本的には子どもが理解できる言葉で、耳に心地よいリズムで翻訳していく。だが、松岡さんも子どもの頃、「さいくはりゅうりゅう しあげはごろうじろ」という耳慣れない言葉に惹かれたように(この連載の1回め参照)、知らない言葉が印象に残り、成長してから「ああ、そういうことか」と納得する喜びもある。

それにしても、松岡さんが「語彙が少ない」とおっしゃるのなら、自分はどうなってしまうのか、恥ずかしくなってしまう。

日本語の奥深さ、豊かさを次の世代にも伝えるためにも、長く読み継がれる物語には「重さ」が大事なのではないだろうか。

「ちょうど今ひっかかっているのは、王さまが病気になってお抱えの占い師が言うセリフです。『治るには』では軽すぎるし、『快癒するには』では固すぎる......と悩んでいます」

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『ふしぎな銀の木』
(シビル・ウェッタシンハ、
福音館書店、2017)

インタビューのときに、松岡さんがこうおっしゃっていた本が刊行された。前回にも登場したスリランカのシビル・ウェッタシンハさんの『ふしぎな銀の木』(福音館書店、2017)だ。

結局どんなセリフになったかは、本で確認してみてください。

 

2017年は、『グリムのむかしばなし』Ⅰ、Ⅱ巻(ワンダ・ガアグ編・絵、のら書店)が出た年でもあった。

 

「グリムは、私自身は語ったことがなくて、ずっと人が語るのを聞いて満足していました。img_matsuoka01-04.jpgところが、ワンダ・ガアグが再話したものを読んだら、ものすごく面白くて、翻訳したくなったんです。ワンダは、早くに親を亡くして、お金を稼ぐ仕事もしながら、妹や弟たちを育てます。苦労しながらも、大好きな絵や文をかくことを諦めなかった女性です。親たちがヨーロッパからアメリカ大陸にわたった移民で、小さい頃は、近所の人、親戚や祖父母から、ドイツ語でメルヘンを聴いていたそうですimg_matsuoka05-01.jpgそんな彼女が再話したから、とっても魅力的なんですね。登場する女性の描き方も一味違います。例えば、ヘンデルとグレーテルを森に捨てるよう夫に迫る継母も、意地悪なだけではない、痛快さがあります」

異なるものへの興味減退は、翻訳を廃れさせる?

松岡さんが1965年に最初の翻訳書を出してから52年の歳月が経過し、翻訳事情も大きく変わった。

『ひとまねこざる』(E・A・レイ著、光吉夏弥訳、岩波書店)で「うどん」と訳していたのが「スパゲッティ」に変わり、エリノア・エスティーズ著『百まいのきもの』も『百まいのドレス』に改題された(石井桃子訳、岩波書店)。

「最初、<ヘンリーくんシリーズ>を訳すときは、ハロウィンやハンバーガーをどんな日本語にしたらいいか大変でしたよ。それがあっという間に、日本でもカタカナのままで通用するようになりました。<br/ >  そういう変化とは別に、気になっていることがあります。アメリカの子どもは、知らないものが出てきたときに拒否反応が強いけれど、日本の子どもは寛容に受け入れます。それはなぜかということです。<br/ >img_matsuoka08_01.jpg  たとえば日本で『どろんこハリー』(渡辺茂男訳、福音館書店)の読み聞かせをするとき、『どうしてお風呂が2階にあるの?』と聞く子はいませんでした。最近は日本でも2階にお風呂がありますけど(笑)、昔はありえない光景でしたからね。<br/ >  一方、私の創作絵本『おふろだいすき』(福音館書店)をイギリスで出版するとき、『英国にはお風呂にフタがないから、フタのない絵をもう1枚描いてくれ』と言われたんですよ。登場する動物にすべて、『ウイリアムやティモシーとイギリスふうの名前をつけて、そうしないとイギリスの子どもたちは読まないから』と編集者に言われました」

自分たちが知らない食べ物が出てきたとき、おいしそう、食べてみたいと思う人(子ども)もいれば、馴染みがないものは食べたくない、まずそうで食指が動かない人(子ども)もいるだろう。

長年の経験から、日本の子どもは前者が多いと松岡さんは感じている。

「アーサー・ランサムの『アマゾン号とツバメ号』(神宮輝夫訳、岩波書店)という、1930年代のイギリスの中産階級が夏休みにヨットに乗る話があります。それを読んで、マニアックなクラブを作るほどハマった子どもたちがいました。おいしくなさそうなペミカンという干し肉がでてくるんですが、『いつか食べてみたい』と願っていた男の子もいました。『チェッ、外国の子はこんなことしやがって』と否定的に感じず、『大きくなったらヨットに乗りたい』と憧れるんですね。<br/ >  シンガポールに行った時、児童書の関係者に『アーサー・ランサムを子どもたちは読みますか?』と尋ねたら、『あまり読まない。too British だから』という答えが返ってきました。日本では、外国の風物に拒否反応を起こさず、むしろ憧れるのはなぜなのか、ずっと謎です。でも、そういうものに支えられて、日本では翻訳が出ているわけです」

「翻訳大国」と言われるように、日本は外国のものを積極的に翻訳し、吸収してきた。

しかし最近は、外国に対する羨望や、外来のものへの好奇心が衰えているように松岡さんには感じられる。

「そうなると翻訳という営みは、減っていくかもしれません。それは、寂しいことです。<br/ >  振り返ると、もし大阪の中央図書館で児童室をずっと担当させてもらえていたのなら、私はずっと図書館員だったでしょうし、こんなにたくさんの翻訳はできなかったでしょう。その時その時で、依頼された作品を一生懸命に訳してきました。自分でもびっくりしますが、とにかく、言葉をいじっているのが好きなんですね。<br/ >  私にとって翻訳は、子どもの図書館の仕事の副産物だと思っていましたが、収入源としての翻訳で生活が成り立ったのも事実ですね。それは、訳した本が長く売れ続けたからで、本当にありがたいことです。

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『子どもが孤独(ひとり)でいる時間(とき)』
(E・ボールディング著、こぐま社 1988)

 思い出深い翻訳? うーん、子どもの本から選ぶのは、むずかしいですね。おとな向けの本で翻訳できたことに意義があったと思うのは、『子どもが 孤独ひとりでいる 時間とき』(E・ボールディング著、こぐま社 1988)です。原書を読んで読書会もしていましたから、本当にうれしく、誇りにも思っています。<br/ >  テレビのない時代に育った人、テレビで育った人、そしてスマホを触って成長する今の人、ちょっとずつ違うことはあるでしょうけれど、人と人と気持ちがつながったとき、とても深い喜びを感じるということは、変わらないのではないでしょうか。子どもの本やお話は、そうした気持ちを培っていってくれるのだと思います」

最初に取材のお願いをしたとき、松岡さんに「自分のことを翻訳家とは考えていない」と言われて驚いたが、お話をうかがい軌跡をたどらせていただく中で、松岡さんはもっと広い「翻訳」をなさってきたのだと感じるようになった。

異なる言語や文化の翻訳だけではなく、子どもの世界とおとなの世界をつなげるという意味でも松岡さんは翻訳家なのだ。

今は、フランシスの Song Book の翻訳に取り組みながら、ご自身の経験についてのご執筆をなさっている。その本を読める日が、待ち遠しい。

(おわり)

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松岡享子さん。
松の実文庫だったご自宅の入り口にて。
(撮影:大橋由香子)
[プロフィール]松岡享子(まつおか・きょうこ)

1935年神戸市生まれ。神戸女学院大学英文学科、慶應義塾大学図書館学科卒業、ウエスタン・ミシガン大学大学院で児童図書館学専攻ののち、ボルティモア市立の公共図書館に勤務。帰国後、大阪市立中央図書館勤務を経て、自宅で家庭文庫「松の実文庫」を開き、児童文学の翻訳、創作、研究を続ける。1974年、財団法人東京子ども図書館を設立。理事長を経て、現在は名誉理事長。

著書は、絵本『くしゃみくしゃみ天のめぐみ』『とこちゃんはどこ』『おふろだいすき』、童話『なぞなぞのすきな女の子』、大人向けの『サンタクロースの部屋』『ことばの贈りもの』『えほんのせかいこどものせかい』など。

翻訳は『しろいうさぎとくろいうさぎ』『町かどのジム』『おやすみなさいフランシス』『番ねずみのヤカちゃん』など多数の絵本、児童書のほか、大人向けの『子どもが孤独(ひとり)でいる時間(とき)』など。

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公益財団法人 東京子ども図書館
(写真提供:公益財団法人 東京子ども図書館)
〈復刊キャンペーン 今ふたたび、この本を子どもの手に!〉
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東京子ども図書館では、『物語の森へ』(児童図書館基本蔵書目録2)を2017年5月に刊行。戦後出版された児童文学から、選りすぐりの約1600冊を収録している。ところが、半数以上は現在入手できない状態だという。そこで、復刊希望の声を募り出版社に届けるキャンペーンを始めた。2年がかりの長期プロジェクト、あなたも参加してみては?

キャンペーンページはこちら
取材を終えて ひとりごと

自分の子ども時代を振り返ってみると、お気に入りの絵本の思い出が意外に少なくて、ちょっとがっかりする。

『ちびくろサンボ』でぐるぐる回るトラたちがバターになる場面はくっきり覚えているし、『ちいさなおうち』や『水の子トム』は何度も読んだ。でも、私が絵本や子どもの本に本格的に出会ったのは、自分の子どもが生まれてからだった気がする。

絵本を子どもに読んであげながら、自分が楽しんでいた。そして子どもが小学1年生になったとき、「つばめ文庫」というおはなし会のプリントが学校のお知らせにまざってきた。

本が好きだった上の子は、土曜の午後、おはなしを聞き絵本を読んでもらい、学校の図書室とは別の「つばめ文庫」とラベルのついた本を借りてきて喜んでいた。

しばらくして、「文庫のお手伝い募集」とプリントに書かれていて、私はおそるおそる覗きに行った。学校の教室に畳敷きの部屋がひとつあり、そこに子どもたちが集まっている。私よりひとまわりくらい上の「おかあさん」が、最初に熊の手ぶくろ人形を使った出し物をする。そのあと、絵本の読みきかせ、本を使わない素話もある。おかゆがどんどん増える話は、初めて聞くものだった。

やがて、出し物は「くまさんのおでかけ」、素話は「おいしいおかゆ」といい、どちらも東京子ども図書館の『おはなしのろうそく1』に載っているものだと知った。

もちろん私も、著者や翻訳者としての石井桃子さん、松岡享子さんの名前には慣れ親しんでいるつもりだった。でも、恥ずかしながら、石井桃子さんの『子どもの図書館』(岩波新書、1965)も、松岡享子さんの『えほんのせかい こどものせかい』(東京子ども図書館、1972)も、まだ読んでいなかったのだ。

そんな「奥手」な私が、今回の取材で、生まれて初めて、東京子ども図書館や、石井桃子さんの「かつら文庫」に足を踏みいれた。「松の実文庫」だった松岡さんのご自宅にも、山のおうちにもお邪魔させていただいた。

建物や本棚、机や椅子から伝わってくる雰囲気、そこでお話を聞くことの心地よさ! これはもう、子どももおとなもないような気がした。いや、疲れたおとなこそ、お話をきく快楽を味わってほしい。各地で語り手をしているのであろう女性たちの熱気にかこまれながら、私はそう思った。

本のある、本でつながっている空間は、なぜか居心地がいい。連載で毎回訪れた子どもの本屋さんもそうだった。

この「いい感じ」は、なんなのだろう。どこからくるのだろう。

      

まず思い浮かぶのは、連載4回めに出てきたイーノック・プラット公共図書館のキャスタニヤ館長の言葉。

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「わたしたちは、本はよいものであると信じる人々の集団に属しています」

あるいは、石井桃子さんの『新編 子どもの図書館』(石井桃子コレクションⅢ 岩波現代文庫)まえがきでの一文。
「私は、この本を書くにあたって、『これからの子どもは、いままでの子どもにくらべて、本を読まなくてもいいのか、または、本は読まなければいけないのか』という点では、『読まなければいけない』という立場をとりました。」

本のほかにもステキなことはあるし、本でなくてもいいのでは? と揺れそうになったこともあるけれど、石井桃子さんのキッパリとした「立場」に安心する自分がいる。

そして、石井桃子著『子どもの図書館』の"その後"を書かなければと『子どもと本』(岩波新書)5章に取り組んだ松岡享子さんは、こう記す。

「書いているあいだ、書き終わったあと、そして、とくに引用した本のリストをつくっているときにつくづく感じたのは、わたしの仕事が、というよりわたしという人間のありようが、どれだけたくさんの本に負っているかということです。自分で感じたり、考えたりしていると思っていることのすべては、本のなかにその根があるのだとわかります」(同書あとがき)

本のなかに、自分の根がある。

親が我が子へという次元ではなく、今のおとな世代が消えた後も生きる「子ども」に伝わるものとして、本に愛着をもつ──それが、あの"心地よさ"につながっているのではないだろうか。

つい最近も、似たような感覚に出会った。

松田青子さんが、エッセイ「彼女たちに守られてきた」で、かつら文庫や石井桃子さんの書斎で感じたことを書いている。
「彼女はここで、生活し、仕事をし、たくさんの子どもと大人の人生を守った。それは同時に、彼女の人生を守ることでもあった」*

石井桃子さんの業績について記す松岡さんの解説を読みながら、私は石井さんと松岡さん、その他の人々のやりとりを想像する。本や言葉が、人と人の間で、からみあってつながっている面白さ。それを今回の取材で味わうことができた。

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光文社創業60周年の記念出版として
刊行されたものです。

そういえば、石井桃子さんの『ノンちゃん雲にのる』は、初版が1947年大地書房からでた後、1951年に光文社から桂ユキ子挿絵で出版されていることを、東京子ども図書館のスタッフの方に教えていただいた。

というわけで、この連載の最後でやっと、光文社の本にたどりついたとさ、めでたしめでたし。

『日本のフェミニズム』北原みのり責任編集、河出書房新社 大橋もコラムなどを寄稿しています。
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チェコ、プラハのヴェレトゥルジュニー宮殿(宮殿というよりは近代的な建物)のブックストアにて。松岡さんが翻訳した『わたしのろばベンジャミン』(ハンス・リマー、レナート・オスベック作、こぐま社、1994、写真右下)やうさこちゃんシリーズの原書が並ぶ。この美術館所蔵のムハ「スラヴ叙事詩」は東京出張中で鑑賞できずだった。

大橋由香子(おおはし ゆかこ) プロフィール
フリーライター・編集者。月刊「翻訳の世界」(バベル・プレス)やムック「翻訳事典」(アルク)等で翻訳者へのインタビュー取材を手がけてきた。光文社古典新訳文庫の創設時スタッフでもある。著書『同時通訳者 鳥飼玖美子』『生命科学者 中村桂子』(理論社)『満心愛の人 益富鶯子と古謝トヨ子:フィリピン引き揚げ孤児と育ての親』(インパクト出版会)『異文化から学ぶ文章表現塾』(新水社、共著)ほか。

 

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