2017.12.11

連載「”不実な美女”たち──女性翻訳家の人生をたずねて」vol.4 松岡享子さんに聞く(7)

幼少期や少女時代に第2次世界戦争を体験し、半世紀以上も翻訳をしてきた女性たちがいる。暮らしぶりも社会背景も出版事情も大きく変化したなかで、どのような人生を送ってきたのだろうか。かつては"不実な美女"*と翻訳の比喩に使われたが、自ら翻訳に向き合ってきた彼女たちの軌跡をお届けする。
〈取材・文 大橋由香子〉

*"不実な美女"とは、17世紀フランスで「美しいが原文に忠実ではない」とペロー・ダブランクールの翻訳を批判したメナージュの言葉(私がトゥールでふかく愛した女を思い出させる。美しいが不実な女だった)、あるいはイタリア・ルネサンスの格言(翻訳は女に似ている。忠実なときは糠味噌くさく、美しいときには不実である)だとも言われ、原文と訳文の距離をめぐる翻訳論争において長く使われてきた。詳しくは、辻由美著『翻訳史のプロムナード』(みすず書房)、中村保男『翻訳の技術』(中公新書)参照。

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「暮らしの手帖」第4世紀91号(2017年12-2018年1月号)の巻頭に、松岡享子さんが登場なさっています。なぜ、どのようにして、松岡さんが「雪のブローチ」をつくっているのか語られています。子どもたちにお話をするときの手作り人形の写真を見て、人形ごっこをしていた中学生の松岡さんを想像してしまいました(連載2回目参照)。2011.3.11大震災からの東北の子どもたちとの交流も知ることができます。

このブログ連載では、翻訳家としてのお話を中心にご紹介していますが、今回は、翻訳の根っこに、子どもに「お話をする」営みがあることについてお聞きしました(ちなみに、絵本の読み聞かせと違い、お話=素話は、語り手が内容を覚えて語る)。

そして、松岡さんの意外なコンプレックス、多彩な活動もご紹介します。

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『パディントンのクリスマス』(マイケル・ボンド作・松岡享子訳、福音館書店)
TEAL GREEN in Seed Village にて
「TEAL GREEN in Seed Village」ウェブサイト
7回 お話を語る経験と翻訳の関係、そして国際会議での交流

出版社からの絵本や児童書の翻訳は、文字通り、矢継ぎ早に、怒濤のように続いていった。

並行して、松岡さんは文庫の仲間たちと、昔話の翻訳や再話に力を注いできた。さらに、東京子ども図書館の設立準備にも奔走するのだが、それについては『子どもと本』(岩波新書)をご覧いただくことにして、ここでは翻訳を中心にお聞きしていこう。

「私の場合、語るという体験を抜きにして、翻訳はありえません。ですから『おはなしのろうそく』は私の翻訳における、大きな塊のひとつです。何度も声に出して、口にのりやすく、耳で聞いてもわかりやすいことばにするよう心がけました」

『おはなしのろうそく』とは、1973年、A6判(ハガキの大きさ)48ページの小冊子として、東京子ども図書館の設立準備委員会が作ったものだ。

ほぼ1年に1冊作られ、実際に子どもたちに語ってみて、喜ばれた作品から選んでいる。松岡さんは、その中の多くの作品の翻訳をしている。

2017年10月14日に亡くなられたリチャード・ウィルバーさんの『番ねずみのヤカちゃん』(福音館書店、1992)も、最初は『おはなしのろうそく』18に掲載されていた作品だ。

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『おはなしのろうそく』(写真提供:東京子ども図書館)
子どもが喜ぶのを見ると、もっと喜ばせたくなる

「とくに『ホットケーキ』(The Pancake)というノルウェーのお話は、アメリカの図書館でも、子どもたちが大喜びで聞いていました。出来事というより音の面白さが特徴の、積み重なっていくお話です。でもこの英語を日本語にするのはむずかしくて、長いことできなかったんですよ」

インタビューの途中で、松岡さんは、"Once upon a time there was a woman who had seven hungry children." と英語で語り出した。(聞き手の私は大喜び。)

お腹が空いた7人の子どもたち。ホットケーキを焼いて、と順番にねだっていく。この場面でも、最初の子が "Oh, darling mother" と呼びかけ、2番目の子、3番目の子と言葉が増えて、7番目の子になると、"Oh,darling,pretty,good,sweet,clever, kindest little mother" というふうに、どんどん長くなっていく。

そして焼きあがったホットケーキは、食べられまいとして転げて逃げていく。そこに Manny Panny や Henny Penny など、ユニークな名前の動物たちが登場し、それが繰り返し重なっていくお話だ。

最後は、こんなに長くなる。

No,no; I've run away from the mother, the father, seven hungry children, Manny Panny, Henny Penny, Cocky Locky, Ducky Lucky, the Goosey Poosey. I'll run away from you, too, Gander Pander" said the pancake, and it rolled and rolled as fast as ever.

さて、この英文は、どんな日本語に翻訳されたでしょうか。『おはなしのろうそく』小冊子版18、愛蔵版9でご覧ください。

img_matsuoka07_06.jpg「子どもたちを前にお話をした経験がなければ、翻訳できませんでしたね。『ホットケーキ』は、まちがいなく私の中のヒット作です。子どもが喜ぶのを見ると、もうちょっと喜ばせたい、もうちょっと笑わせてあげたいと思うじゃないですか。そのためにすごく工夫しますよ。語呂合わせや韻を踏んでいる英文の翻訳もむずかしいけれど、おもしろい原作だったら、やっぱりおもしろくしなきゃ。恣意的には変えませんが、時によっては、順序を差し替えたり。とくに関係代名詞の訳し方ね」

例えば、
"There was a woman who had three daughters."
 という英文は
「3人の娘をもった女がいました」と訳すのではなく、「女がいて、その人には3人の娘がいました」のほうが、語りの場合はふさわしいことが多い。

「絵本の場合は、絵が見えてくる順序で、言葉にしていきます。語っているのを耳で聞いて、素直にわかって、なおかつリズムがあって気持ちよい翻訳。どの翻訳者の方も気をつけていらっしゃるでしょうけど、昔話では、とくに大切なことです」

松岡さんが語る英語も、日本語の語りも、リズムと声に思わず引き込まれる。

ところが松岡さんは、自分の声にコンプレックスをもっていた。

かつてアメリカ人の先生に、「あなたの声は、聞きづらい。お話するのに適さない」とズバリ指摘されたことがあったというのだ。テープに録音した自分の声を聞いて、落ち込んだこともあった。有名なヴォイス・トレーニングの先生のレッスンを受け、話し方を改良する努力をしたそうだ。

もう一つのコンプレックス。それも意外なことだった。

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「松の実文庫」を開いていた
30歳頃の松岡享子さん。

「姉はきれいで、かわいくて、写真館に写真が飾られたり、ミス神戸に出たらと言われたりするくらい。一方わたしは、赤ん坊の頃から鼻が低いと既に耳に入っていた祖母が、和歌山の田舎から会いに来るなり『みっともない、みっともないっていうちゃあったけど、みっともないことないわして(みっともなくないじゃないの)』と言ったそうです。小さいころ、鼻紙ちょうだいって母に言うと、『あら、あんた鼻あったの?』って冗談を言う、ひどいでしょう?(笑)
 うちでは、姉が美人、わたしは『おへちゃ』と決まっていました。だからといって、ひがむわけではないんですよ。親も姉も、下のわたしを可愛がってくれてました。でもね、"自分はきれいな人ではない"と固く信じて成長しました。30歳過ぎて、一緒に図書館で働いてる人に、"きれい"と言われたとき、ものすごく驚いたことを覚えています。面白いものですね」

松岡さんの写真を見て、思わず「おきれいですね」と私も口から出たところだった。超絶きれいな姉がいると、普通にきれいなのに、そうではないと感じてしまう。家庭環境や家族にまつわる思いこみは、不思議なものだ。

苦くて、懐かしくて、おかしい子ども時代、誰の心の中にもあるのではないだろうか。

アジアの昔話プロジェクトと作家との交流
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『アジアの昔話 1』
(ユネスコ・アジア文化センター編)

そんな松岡さんが、35歳から約30年間にわたって携わった事業がある。アジアの子どもたちに、共通の読み物を作るユネスコのアジア共同出版計画事業だ。1970年代に始まり、20前後の加盟国代表が毎年2回東京に集まり、企画や編集の会議をした。途中からは松岡さんが会議の議長を務め、日本語翻訳の多くも担当した。

さらに1992年と94年には、国際児童図書評議会が授与する国際アンデルセン賞の選考委員になる。

ユネスコの会議では、スリランカ代表として参加していたシビル・ウェッタシンハさんの発言に共感することが多く、親しい友だちになった。

ウェッタシンハさんの絵本作品『きつねのホイティ』(福音館書店、1994)には、こんなエピソードがある。

『きつねのホイティ』
(福音館書店、1994)

「最初は、村の女の人がきつねをやっつけるのに、食べ物に唐辛子をたくさん入れるという話だったんです。それを読んだ私が、『味は絵に描きにくいから、違う仕返しにしたらどう?』と話しました。そうしたら彼女、花嫁衣装にする話に変えたんですね。ショッキングピンクの衣装が、絵としてとても面白くなりました。<br/ >  ウェッタシンハさんの絵が国際アンデルセン賞の画家賞候補になったとき、ヨーロッパの人はあまり評価しなかったのです。私は、彼女の絵の、とらわれのなさ、子どもが紙の端まで書いたら、そのまま裏返しにして書いちゃうみたいな、自由な感じが好きで、ホッとするんですが」

『わたしのなかの子ども』
(福音館書店、2011)

スリランカの小さな村で暮らした日々を綴った彼女の自伝『わたしのなかの子ども』(福音館書店、2011)の翻訳も、松岡さんが手がけた。

自伝の続編もあるそうだが、まだ日本語には翻訳されていない。

 

「ユネスコや国際アンデルセン賞の仕事をできたのは、神戸女学院の英語教育のおかげだと思います。実は、十代の頃、母親に対する反発がちょっとあって、父親のほうが好ましいと思ったこともありました。でも、父が病気で倒れ仕事を引退した大変ななか、アメリカへ送り出してくれたのも母でした。翻訳も含めて、身につけた英語でずっと食べてきたわけですから、中学高校時代の英語塾や大学進学、留学させてくれた両親に感謝ですね」

翻訳家、そして国際会議での議長や賞の審査員のほかにも、松岡さんは、たくさんの顔をもっている。

東洋英和女学院大学では約12年間、児童文学の教鞭をとった。

「学生には親身に指導して、けっこういい先生だったと思いますよ(笑)。他にも大学で図書館学を教えてくれというお話もありましたが、お断わりしました。結局、東京子ども図書館の仕事が、私のまんまん中にあるのね。企業体として小さな出版社でもありますから、企画・編集から販売・図書館まで、印刷は頼んでいますが、本に関することは、端から端までほとんどやっています」

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東京子ども図書館「じどうしつ」の看板。
図書館全体の玄関と別に、小さな道に面して児童室の入り口がある。

松岡さんは、起業家の顔ももっているのだ。

来年は「くまのパディントン展」が全国展開されるので、松岡さんは今、監修者としてはりきっている。

「生誕60周年記念 くまのパディントン展」
〈京都〉2018年2月8日~3月4日/美術館「えき」KYOTO
〈福岡〉2018年3月10日~4月15日/福岡アジア美術館
〈東京〉2018年4月28日〜6月25日/Bunkamura ザ・ミュージアム
【主催】毎日新聞社【監修】松岡享子【協力】東京子ども図書館他
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松岡享子さん。
松の実文庫だったご自宅の入り口にて。
(撮影:大橋由香子)
[プロフィール]松岡享子(まつおか・きょうこ)

1935年神戸市生まれ。神戸女学院大学英文学科、慶應義塾大学図書館学科卒業、ウエスタン・ミシガン大学大学院で児童図書館学専攻ののち、ボルティモア市立の公共図書館に勤務。帰国後、大阪市立中央図書館勤務を経て、自宅で家庭文庫「松の実文庫」を開き、児童文学の翻訳、創作、研究を続ける。1974年、財団法人東京子ども図書館を設立。理事長を経て、現在は名誉理事長。

著書は、絵本『くしゃみくしゃみ天のめぐみ』『とこちゃんはどこ』『おふろだいすき』、童話『なぞなぞのすきな女の子』、大人向けの『サンタクロースの部屋』『ことばの贈りもの』『えほんのせかいこどものせかい』など。

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公益財団法人 東京子ども図書館
(写真提供:公益財団法人 東京子ども図書館)

翻訳は『しろいうさぎとくろいうさぎ』『町かどのジム』『おやすみなさいフランシス』『番ねずみのヤカちゃん』など多数の絵本、児童書のほか、大人向けの『子どもが孤独(ひとり)でいる時間(とき)』など。

〈復刊キャンペーン 今ふたたび、この本を子どもの手に!〉
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東京子ども図書館では、『物語の森へ』(児童図書館基本蔵書目録2)を2017年5月に刊行。戦後出版された児童文学から、選りすぐりの約1600冊を収録している。ところが、半数以上は現在入手できない状態だという。そこで、復刊希望の声を募り出版社に届けるキャンペーンを始めた。2年がかりの長期プロジェクト、あなたも参加してみては?

キャンペーンページはこちら
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松岡享子さんの本や訳書が読める子どもの本屋さん。今月は、お店の前のクリスマスツリーもきれいな TEAL GREEN in Seed Village です。東京都大田区、東急多摩川線の武蔵新田駅から歩く住宅街にあり「紅茶がのめる絵本のお店」です。

今回のお話に出てきた「おはなしのろうそく」がズラリと並んでいました。色もきれいです。お店は、絵本や本、グッズを販売しているコーナーと、奥の喫茶コーナーがあり、12月25日まで、ベリング・ダウンズの絵本原画展「サイレントナイトクリスマスソングブック」を開催中。子ども向けのイベントも、いろいろあります。(撮影:大橋由香子)

「TEAL GREEN in Seed Village」ウェブサイト
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(最終回につづく)

大橋由香子(おおはし ゆかこ) プロフィール
フリーライター・編集者。月刊「翻訳の世界」(バベル・プレス)やムック「翻訳事典」(アルク)等で翻訳者へのインタビュー取材を手がけてきた。光文社古典新訳文庫の創設時スタッフでもある。著書『同時通訳者 鳥飼玖美子』『生命科学者 中村桂子』(理論社)『満心愛の人 益富鶯子と古謝トヨ子:フィリピン引き揚げ孤児と育ての親』(インパクト出版会)『異文化から学ぶ文章表現塾』(新水社、共著)ほか。

 

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