2014.11.20

連載「”不実な美女”たち──女性翻訳家の人生をたずねて」vol.2 中村妙子さんに聞く(1)

幼少期や少女時代に第2次世界戦争を体験し、翻訳者も編集者も男性が圧倒的だった時代に出版界に飛び込み、半世紀以上も翻訳をしてきた女性たちがいる。暮らしぶりも社会背景も出版事情も大きく変化したなかで、どのような人生を送ってきたのだろうか。かつては"不実な美女"*と翻訳の比喩に使われたが、自ら翻訳に向き合ってきた彼女たちの軌跡をお届けする。
〈取材・文 大橋由香子〉
(毎月20日更新)

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お待たせしました。vol.1の小尾芙佐さんから3ヶ月余、連載シーズン2は、中村妙子さんにご登場いただきます。1923年生まれの中村さんは、翻訳を手がけて70年近くになられます。ロングセラーの『サンタクロースっているんでしょうか?』「くまのパディントン」シリーズ(ともに偕成社)『ナルニア国の父 C・S・ルイス』(岩波書店)をはじめとするたくさんの翻訳のほか、『アガサ・クリスティーの真実』(新教出版社)『鏡の中のクリスティー』(早川書房)などの著作もあります。

子ども時代の読書体験、戦争中の恵泉女学園、津田塾での学びはどのようなものだったのか、そして1942年秋に繰り上げ卒業した後、内閣情報局第三部(対外情報課)の戦時資料室で働き、敗戦後は連合国軍総司令部の民間情報教育局に勤めたという中村さんが、どのようにして翻訳の仕事をするようになったのか、お聞きしました。
(文中に登場する方々のお名前は一部敬称を略させていただきます)

1回 住まいは牧師館、翻訳ものに囲まれて
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昭和初期の妙子さん(左端)と、姉の薫さん、兄の正一さん (『三本の苗木』佐波正一、佐波薫、中村妙子 著、みすず書房、2001年より)

私が最初に中村妙子さんにインタビューしたのは「翻訳の世界」という月刊雑誌にいた1997年のこと。お茶の水女子大学の近く、高台のマンションを訪れると、美味しい紅茶とブルーベリーパイで迎えてくださった。そのときは、ロザムンド・ピルチャーやアリータ・リチャードソンの翻訳を中心にお聞きした。

その後、中村妙子さんは、姉・兄とともに、父・ 佐波 さば 亘、母・(植村)澄江のことを回想した『三本の苗木―キリスト者の家に生まれて』を刊行なさった。 そこには、どのような環境で成長していったのか、さらに翻訳を仕事にするまでの過程が綴られていた。

今回は、2013年と14年、転居なさった神奈川県の油壺にお伺いしての再会である。

中村さんが幼少期を過ごされたのは、東京の大森と蒲田だ。時代はまったく違うが、私自身もその土地で育ったので、池上本門寺のお会式、大森めぐみ教会、山王や馬込の作家たちの家並み、今では消えてしまった「新井宿(あらいじゅく)」「鬼足袋通り(おにたびどおり)」など会話に出てくる地名も懐かしい。

中村さんも眺めた敗戦後の焼け野原の風景を、私の両親も見ていたらしい。中村さんのお父さんの大森教会のすぐ近くにあった助産院に、私もお世話になった。そんなわけで、インタビューは、中村(当時は佐波)妙子さんの生まれ故郷・大森の話から始まる。

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入新井第一尋常高等小学校
(『入新井町誌』入新井町誌編纂部発行、1927年)

父が牧師をしていた大森教会の裏に牧師館がありましてね、そこに住んでいました。大森駅の東口、入新井第一小学校の近くです。小さいときから翻訳ものの本がまわりにたくさんあったんですね。私は、『桃太郎』などの日本の絵ばなしより、『ピーター・パン』の絵本が好きでした。最初は母に読んでもらっていましたが、そのうち、自然にお話を覚えちゃいましたね。母が忙しくてあまり読んでもらえないから、自分で読んでみようと思ったんでしょうか、いつのまにか、字を覚えていました。

小学1年生で初めて自分で本を選んで買った。

「五十銭のギザ玉を握って喜び勇んで走って行き、さんざん迷ったすえに『魔法のばら』という一冊を買った。『むせぶようなマンドリンのル、ル、ルという音』というくだりを覚えている。その後、やはり五十銭の『ピーター・パン』を手に入れた。この本で記憶にとどまっているのは "ならない、ならない、ならないお国" というピーターの国の奇妙な名称。ネヴァーネヴァーランドの訳語だったのだと後に知った」(『三本の苗木』より)

その後も中村さんは、何冊かの『ピーター・パン』に触れるなかで、「翻訳って、いろいろなんだなあ」と思う。絵本にはなかった説明やエピソードが載っている本があり、どこを省略しているかもさまざま。翻訳には抄訳という形があることを理解するようになった。『千夜一夜物語』を読んで、子ども向けの『アラビアンナイト』とはまったく異なることに気づく。

村岡花子訳『王子と乞食』も夢中で読んだ

翻訳家の村岡花子さんが当時、大森に住んでいらして、父の牧する教会に出席しておられました。私の母よりちょっとお若くて、よく本をくださいました。マーク・トゥエインの『王子と乞食』は布ばりの装丁で、小学生にはちょっと難しい言い回しがありましたが、面白くて夢中で読みました。戦後、父の教会は日本基督教団を離脱したので、村岡さんは大森めぐみ教会に転会されました。それ以前、父は小さなタブレット版の「福音新報」を出していて、そこにときどき村岡さんが原稿をお寄せになっていました。村岡さんという方が身近におられたことで、私も翻訳という仕事に関心を持つようになったんでしょうね。母親の知人に、歌人でアイルランド文学の翻訳をなさっていた松村みね子(本名・片山廣子)さんもおられて、松村さんの訳書も父母に贈られていました。

やがて、わが家の書棚に、総ルビの「世界大衆文学全集」(改造社)を発見した中村さんは、抄訳の『椿姫』『カルメン』『クオ・ヴァディス』などを読むようになる。

本は大好きだったが、学校はあまり好きではなかった。6人生まれた子どものうち、3人を幼いうちに病気で亡くした母親は、中村さんが「学校に行きたくない」と言えば休ませてくれた。ほんの少し後ろめたさを感じながらも、のどに湿布をして、1週間くらいは学校に行かずに本を読んでいた。

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『蒲田町史-市郡合併記』蒲田町史編纂會発行 1933年より

小学校4年生のときに、蒲田に引っ越しました。家は、京浜国道に出る手前の京浜急行の踏切の八幡神社のそばで、産婦人科医院や小規模の郵便局、桶屋さん、三角堂という薬屋兼写真館が近くにありましたね。大森の入新井第一小学校から転校した蒲田尋常高等小学校は、川のそばで、大雨が降ると川の水があふれて休みになりました。山王や馬込文士村がある大森と違って、蒲田は庶民的というか、雰囲気がまったく違うのを感じましたね。学校の友だちから聞いた言い回しを口にして、両親からたしなめられることもありました。

当時、松竹の撮影所が蒲田にあり、すでに子役として活躍していた高峰秀子が同じ小学校の一学年下にいた。中村さんは、学芸会で主役をつとめた高峰秀子の姿を覚えている。

また、同級生の作間さんのお姉さんの夫君が宇野利泰氏で、田園調布にあるお宅に遊びに行き、ヴァン・ダインやコナン・ドイルの翻訳書を借りたりした。

恵泉女学園の英語の授業では「スウ」と呼ばれた

小学校を卒業すると、世田谷の経堂にある恵泉女学園に入学しました。品川で乗り換えて、渋谷で乗り換えて、もう一度、下北沢で小田急に乗り換えて、駅からも15分以上歩きますから、1時間半くらいかかりましたね。姉は自由学園、兄は武蔵高校と、三人とも遠くの学校に通っていましたが、私は身体が弱かったので、1年生のときは大久保にあった叔母・植村環の家から通いました。

恵泉女学園は1929(昭和4)年に新宿区神楽坂で開校し、翌年暮れには小田急線の経堂に移転。中村さんが入学したのは1935(昭和10)年で創立6年目だった。

創設者の河井道先生は、キリスト教に基づいた教育のなかに、「国際」「園芸」というユニークな科目をつくった。学校行事を生徒が計画・実行したり、全校縦割りの掃除当番を決めたりする信和会の活動が活発だった。

『スウ姉さん』
(エレナ・ポーター 著、村岡花子 訳、
河出書房新社、2014年)

恵泉にいた女学校の5年間は、英語の授業が他校より多かったように思います。日系2世や外国人の先生が、英会話やディクテーションを担当してくださいました。1年生のときから会話の授業があって、アメリカでお育ちになり、英語のほうが日本語より達者な河合ハナ先生が、みんなに英語の名前をつけてくださいました。友だちはヘレンとかビアトリスとか、キャロルなんていう、小説によく出てくるような名前なのに、わたしの名は「スウ」。村岡花子さん訳のエレノア・ポーター『姉は闘ふ』(教文館)という本のヒロインがスウ姉さんという名で、わたし自身はこの名前が嫌いじゃなかったのですが、先生が「スウ」と指名なさるたびに、クラスのみんながドッと笑いました。学科では、英語と歴史が好きでした。

風雨が強い日、河井道園長は生徒たちの登校時間に玄関先に立ち、濡れたからだで校舎にかけこんできた中村さんに「まあ、大変だったわね。大丈夫?」と声をかけ「さあ、早く髪の毛をふいて」とタオルを差し出すような優しい先生だった。

入学してすぐのある日、中村さんがお弁当を忘れたことがある。河井園長と寮生には寮でつくったお弁当が届くのだが、河井園長は叔母の家からの電話を受けて、自分のお弁当を中村さんに差し出してくださったという。

生徒会のような組織・信和会が計画する行事には、新入生歓迎会、国際親善デー、演劇を発表する花の日、クリスマス、豆まきなどとともに、クラス別の討論会もあり、討論の議題も生徒が決めていた。ある日の討論会の題は「制服はあるほうがいいか、ないほうがいいか」「聖書の試験は必要か」だった。それを見て、「こんな問題は生徒が議論するべき事柄ではない」と批判した教師もいたそうだ。しかし、河井園長は、生徒の自主性・自治を重んじていた。

このように、戦前の女学校には珍しい自由な雰囲気のなかで過ごした中村さんは、中学2年から、雑誌「少女の友」(実業之日本社)にペンネームで投稿するようになる。4年生のときに応募した懸賞小説「光を待つ」が第3席に選ばれ、中原淳一の挿絵つきで1940(昭和15)年1月号に掲載され、賞金5円を獲得した。

雑誌「少女の友」1940(昭和15)年1月号目次 雑誌「少女の友」1940(昭和15)年1月号
中村(佐波)妙子さんがペンネームで投稿し入賞作が掲載された「少女の友」1940年1月号表紙(絵:中原淳一)と
「光を待つ」相良慧子が出ている目次。吉屋信子や林芙美子、川端康成と並んで掲載されている。
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提供:株式会社ひまわりや

*"不実な美女"とは、17世紀フランスで「美しいが原文に忠実ではない」とペロー・ダブランクールの翻訳を批判したメナージュの言葉(私がトゥールでふかく愛した女を思い出させる。美しいが不実な女だった)、あるいはイタリア・ルネサンスの格言(翻訳は女に似ている。忠実なときは糠味噌くさく、美しいときには不実である)だとも言われ、原文と訳文の距離をめぐる翻訳論争において長く使われてきた。詳しくは、辻由美著『翻訳史のプロムナード』(みすず書房)、中村保男『翻訳の技術』(中公新書)参照。

 

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現在の大森教会(撮影:大橋由香子)

構成・文/大橋由香子(おおはし ゆかこ) プロフィール
フリーライター・編集者。月刊「翻訳の世界」(バベル・プレス)やムック「翻訳事典」(アルク)等で翻訳者へのインタビュー取材を手がけてきた。光文社古典新訳文庫の創設時スタッフでもある。著書『同時通訳者 鳥飼玖美子』『生命科学者 中村桂子』(理論社)『満心愛の人』(インパクト出版会)ほか。

 

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